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歴史と文化


約10000年前、この美しい桂林の土地に人が住み始めました。彼らは洞窟で生活しており、市内の宝積岩と甑皮岩洞穴で発見された遺物から、すでに母系氏族社会の段階にあったことがわかっています。 秦の始皇帝が桂林・象・南海の3つの郡を置いたのが、「桂林」という名が用いられた起源とされていますが、桂林郡の位置は、現在の桂林市とは同じではありませんでした。長い年月を経て、人々は洞窟を抜け出し、川岸の平野に移り住みました。今日の桂林に集落が形成されたのです。また、秦代に湘江と珠江との間に霊渠(運河)が開通すると、湘桂走廊(湖南省と桂林を結ぶ地帯)は交通の要衝となりました。そのため、始安(今の桂林)は政治的地位が上昇し、三国時代、呉の甘露元年(265)には県から郡に昇格し、始安郡始安県が置かれました。これが現在の桂林にあたります。
南朝の梁の時には、行政区の調整により、始安から桂州駐地になりました。桂州は南桂林の24郡を管轄し、それは今日の広西の東半分に相当します。
唐代には、嶺南(広東・広西一帯)は5つの節度と経略使(いずれも官名)に分かれて管轄されるようになり、嶺南「五管」もしくは「五府」と呼ばれました。桂林は「桂管」の所在地で、桂管の役人は嶺南の採訪使(官名)の職も兼ねており、嶺南すべての検察の権利を持っていました。唐武徳4年(621)に李靖が独秀峰の南に城を建て、唐武徳5年(622)、桂林で貨幣の鋳造が始まり、貿易が盛んに行われるようになります。長寿元年(692)、水利工事を行い、漓江・柳江をつなぎ、貴州・雲南への近道となりました。これは、桂林北部の霊渠とともに一つの交通体系を形成し、桂林はこの体系の中枢となりました。交通の発達は経済の活発化を促進し、唐代中期以降、桂林の発展は隆盛を極めます。
宋至道3年(977)、桂林は広南西路駐地となり、嶺南における政治・経済・文化の中心地としての地位を確立します。南宋では、政治の中心が南に移り、朝廷も嶺南を重視します。桂林は南宋の最初の皇帝である高宗の潜邸でした。紹興3年(1133)、桂林は静江府に昇格し、政治的地位は更に高まり、その影響力は西南地区にまで及びました。元代は広西行中書省静江路に属し、明清代には広西省桂林府、中華民国では広西省に属していました。このように、かつて桂林は長期にわたり、広西の省都であり、政治・経済・軍事・文化の中心でした。
1914年に桂林県と改名し、1940年に始めて桂林市になります。1944年11月から1945年7月28日まで日本占領下にありましたが、回復後には広西省の直轄市となります。1949年11月22日の解放後、広西省の管轄する市となり、1958年に広西チワン族自治区桂林市と名称が変わりました。1998年9月8日、国務院の批准を経て、桂林市と周辺の桂林地区が合併し、現在の新しい桂林市となりました。
桂林の歴史文化にはいくつかの特徴があります。先に述べた宝積山と甑皮岩の遺跡に代表される古代文化、霊渠に代表される水利文化、靖江王府・王陵に代表される明代の文化、そして摩崖石刻・山水詩に代表される山水文化です。これらはすべて、山水の中にあり、自然と融合した文化と言えます。
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